病に苦しんだ彼女の歌声が私に響いた瞬間
6月、偶然プライムビデオでセリーヌ・ディオンのドキュメンタリーを見ました。
私にとって彼女は「タイタニックの曲を歌っている人」という程度の認識で、
彼女が病気で活動を休止していることも知りませんでした。
そのドキュメンタリーで明かされたのは、彼女が長年の不調に苦しみ、病名がわからず、10年以上も薬で症状を抑え続けてきた現実でした。薬は強くなる一方でした。
衝撃的だったのは、歌おうと声を出すだけで顔が歪み、体が硬直する発作が起きてしまう様子を目の当たりにしたときです。
その姿は、15年にわたって化学物質過敏症に苦しみ、化学物質に曝露して発作が起きた時の自分と重なりました。
セリーヌ・ディオンがツアーをキャンセルし、病名がわかって病気の詳細をテレビカメラの前で公に話す姿は、彼女がどれほどの耐え難い状況を乗り越えてきたのかを感じさせ、胸が痛くなりました。
そのドキュメンタリーを見てから3週間後、パリオリンピックが始まりました。
開会式のセレモニーを見ていると、終盤にエッフェル塔でセリーヌ・ディオンが歌っている姿が映し出されたのです。
信じられませんでした。
あの状態から2年でここまで回復し、歌えるようになっているなんて。
ドキュメンタリーの最後に映っていた彼女の姿からは、とてもそんな未来が訪れるとは思えなかったのです。
彼女が歌う『愛の讃歌』を聴いたとき、私の魂が震えるような感動を覚えました。
同時に大きな希望をもらった気がしました。
「あの状態から回復するんだ」と。
セリーヌ・ディオンの世界的スターとしての努力は並外れたものでした。
病気になって歌えなくなってもなお、回復や歌うことへの熱量も、それまでの努力と同じレベルで取り組んでいました。
「凄まじいな」見ていて思った私。
同時に『歌いたい』という彼女の叫びが聞こえてくるようでした。
ドキュメンタリーは全ての時間を映しているわけではないので、どうにもならなくて休んでいた時間も長かっただろうと思います。
番組の性格上、前へ前へと進む姿や、セリーヌの前向きな言葉、諦めない言葉が取り上げられていましたが、そんな気持ちばかりではなかったはず。
彼女の死んだような表情が映った時、それを物語っている気がしました。
私は単純な人間なので、あの状態から回復した人がこの世にいるということが私にとっては素直な驚きであり、勇気をもらった気がしました。
つまりそれは、私も回復できるということです。
それ以来、YouTubeでセリーヌ・ディオンが歌う『愛の讃歌』を聞くと毎回泣きそうになります。
私が回復できると信じることに、自分の魂が「そうだよ」と言ってくれているようです。
それでは、また。
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