化学物質過敏症だけど、審査会でプレゼンをする
『増加する化学物質過敏症患者のための、染料と衣類の開発及び製造販売』事業への助成金申請書を出して採択されるまで、提出、ヒアリング、審査会、内定者説明、と私が出かけて人に会わなければならない機会が4度ありました。
まず、申請書の提出は、こちらのふくい産業支援センターへ。
幸い、応対してくださった男性は、柔軟剤などの香料の少ない方で、マスクをしていれば直接お話することができました。
申請書内容の確認と補足、審査会へ向けて県の方からのヒアリングの日程調整などをそこで行いました。
2回目は、提出した申請書を元に、足りないと思われる内容や、かかる経費についての確認がありました。
この時に対応していただいた2名の県の方は、お会いしても大丈夫だったのですが、用意された会議室のフロアに柔軟剤が蔓延していて、私はエレベーターから降りることができませんでした。
そこで階を変えてもらい、窓を開けてもらってのヒアリングとなりました。
そして、その日の私をみて県の方、うちのスタッフみんなが不安になったのが、私がプレゼンできるだろうか、ということ。
審査会は審査員の方が7名、県の職員が数名、合計十数名が部屋に入ります。
そこで柔軟剤その他の使用を控えるお願いなどは難しい、とのこと。
また、会場は県庁ではなく、あるビルの8階にある会議室だったのですが、建物が古く、会議室のそばに喫煙所があるということでした。
審査会当日。
そのビルの8階でエレベーターが開いた途端、タバコのすごいにおい。
「ムリだ、降りられない…」
会議室の横に、喫煙所があります。
大きな台には灰皿がついていて、煙を吸い込むようになっています。
でも、こうした設備は全ての煙が吸い込まれるわけではありません。
また、灰皿はむき出しです。吸い殻がそのままあります。
夫とスタッフ2名とともに審査会に行ったのですが、すでにまっすぐ立てなくなった私にスタッフの1人が付き添って、一旦ビルの外へ出ました。
県の方は、会議室の窓を開けるように準備してくださったのですが、古いビルで近年開けたことがなかったらしく、当日開かないことが判明。
スタッフと県の方が話して、私たちの順番の前に休憩が取られることになっていたのですが、休憩でタバコを吸われるとおそらく私が持たないだろうと、急遽休憩なしでやってくださいました。
最悪、プレゼンで話せなくなったら、他の人に変わるように言われていました。
何かあってからでは困るので、と。
でも、これは当事者である私が何としても自分で話さなくては、と思っていました。
8階に残っていたスタッフから、前の人のプレゼンが終わるタイミングで電話をもらい、会議室へ戻りました。
このプレゼンが終わったら、動けなくなってもいい。
とにかく、ここで15分耐えるんだ。
そう思って会議室に入りました。
会議室ではコの字型のテーブルに審査員の方々が座られていました。
私たちの後ろには県の職員の方が座られていました。
審査員の前でプレゼンを始めたのですが、話し始めて2分で手が震えだしました。
息もたえだえでしたが、とにかく内容が伝わるように、とだけ考えていました。
隣でスタッフが私に小さな扇風機を当て続けていました。
また、以前マクアケで購入した、首にかける空気清浄機もつけました。
空気清浄機で追いつける環境ではありませんでしたが
「考えられる対策は全てやりましょう」とスタッフも言ってくれました。
5分のプレゼン、その後10分の質疑応答になんとか答えたようです。
というのも、私はあまり記憶があリません。
後から夫とスタッフに聞いたところ、ちゃんと答えていたそうです。
なんとか終わり、這うように会議室を出ました。
スタッフが付き添ってくれて、外に出てすぐ私に重曹をのませてくれました。
スタッフに抱えられるように駐車場まで歩いていきました。
車に乗ると夫が
「今日はもう何もしなくていい。寝ててください。」
というので、ああ、私の状態はひどいんだな、と思いました。
その日はひたすら横になり、翌日は鍼治療で体調の回復につとめました。
みなさんの協力と、頑張ったかいがあって、その後採択の内定をいただくことができました。
▼新分野展開スタートアップ助成金「ふるさと企業育成ファンド」令和元年度採択
http://www.fisc.jp/subsidy/wp-content/uploads/sites/3/2019/07/R1startup-saitakusya.pdf
その内定者への説明会が後日ありました。
これで4度目の接触。再度ふくい産業支援センターへ。
私が大丈夫だったフロアの会議室を用意してくださり、先に職員さんが窓を開けて風上に私を座らせてくれました。
おかげで1時間半のレクチャーでも、耐えることができました。
初めて県の職員さんにお会いしたとき、すごく困ってらっしゃるような感じでした。
ああ、対応しづらいですよね、と思いながら、申し訳ないです、でもなんとか自分でプレゼンしたい、ということも伝えていました。
でも、最後の会議室で県の方達の様子は、私の扱いを心得ている、という雰囲気で、とても心強かったのです。
最初困った感じに見えたのは、どう扱っていいのかわからなかっただけなんだ、と思いました。
あの日、少なくとも20名近い人に、化学物質過敏症の患者を目の前で見てもらうことができました。
そして、みなさんにとっては普通の環境で、患者がどのようになるのか、ということも目の当たりにしてもらえました。
普段私たち患者は、化学物質に曝露する環境からは、すぐに撤退することが鉄則です。
このように無理をして、そこにいつづける、ということは、これまで私自身ありません。
ある意味、貴重な体験だったなあ、と思います。
『大丈夫、きっとよくなる。化学物質過敏症の私がつくった製品wacca(ワッカ )』
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