私が化学物質過敏症を発症したあと、子供の様子

発症して3、4年たったころ、小学生になっていた次男の担任から連絡をもらったことがありました。

『図工で夏休みの思い出を描く授業をしたんです。
次男君が何も描かないのでどうしたのか声をかけたら、突然泣き出して。
多分、お母さんの病気のことも心配なんだと思います。』

泣くと言っても、号泣だったそうです。
溜めていたものがあったんだな、おさえきれなくなったんだな、と思いました。


気づいたら、長く家族旅行にも行けていませんでした。

私も鍼治療へ通うこと、生協への買い物、どうしても用事があるときに会社へいくくらいが精一杯で、どこかへ出かけるなんて想像もできませんでした。
(仕事は、社員がわからないことがあると資料を抱えて、わたしの自宅へ来ていました)

そんな中、子供達は何も言わないけれど、色々寂しい思いや我慢をしているのだろうな、と思いました。

その後、授業で描いた絵が公民館に貼り出されると言うので、完全防備で見に行きました。

虫取りをしている絵や、泳いでいる絵など、夏の様子が描かれた元気な絵が並んでいました。

その中に、なんとも大人びた、風景画のような絵がありました。
次男の絵でした。

それはオレンジ色の夕陽の中で、波打ち際に黒い人影がふたつ並んで立っている絵でした。
その夏、海には行っていません。

寂しいけれど、言い出せない思い、どこか愛おしさを感じさせつつ、暗い人影が発するメッセージ。
ああ、そうなのね、と母なりに解釈しました。

よくならなくちゃ。
お母さん、頑張るわ。

その頃は、この状態がよくなるなんて思えず、半ばあきらめに近い思いを抱くこともありました。

でも、子供の絵をきっかけに、これではいけない、と思い直すことができました。

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“私が化学物質過敏症を発症したあと、子供の様子” に4件のコメントがあります

  1. どうやったら治るのかな。
    私も治療方法が無い患者として日々考えます。
    家族を犠牲にしてしまっていると感じます。
    心が痛いです。

    1. パンダさん、コメントありがとうございます(返信遅くなってごめんなさい)。

      そうですよね、私も犠牲にしてしまっていると思ってきました。
      最近は私ができることが増えて辛そうにしていることが減ったせいか、私も家族も犠牲という意識が減った気がします。

      先日も家族がラーメンを食べたいというのでみんなで行ってきて、と言うと今は高校生になった次男が「お母さんは?」と聞いてきます。一応気にしてくれるのが嬉しいです。

      家族も大変な思いをしましたが(今もかな)子供達にとってはマイナスにならないと今は思っています。
      お母さんはこの病気になったからこそわかったことがあるし、できることをやってるから不幸じゃないよ、と背中を見せられたら家族は辛くないかな、と。なので、子供の時に感じた経験は何かに役立つかもしれないし、無駄じゃないはずって思ってます。

      1. 少しでも体調が良くなると嬉しいですよね。
        ご家族も喜ばれていることと思います。
        お子様もcanariaさんの努力されているお姿を見て、力強いお子様に成長されていっていると思います。
        絶対に無駄ではありません。
        そのような環境で育った子供と、そうでない子供では目に見えない心が違います。
        心の成長は感じ取る力に繋がります。
        これは教えられて身に付くものではありません。
        気遣いの出来る、人の気持ちの分かるお子様に成長されると思いますよ。