化学物質過敏症で親が介護になったら①
ここのところブログの更新ができずにいました。
梅雨の時期だから、奈保子さん、また倒れてる?と言われたりしましたが、必死で倒れないようにしていた日々でした。
2021年ごろからあった父のもの忘れは、ただのもの忘れではない気がしていました。
認知症の手前だと病院で言われたのが2024年、そこから定期的に診察、検査をしていましたが、先々月、5月ごろから悪化し始めました。
そして急速に悪化した6月。
父は昼夜逆転し、10分おきに同じことを話したり出かけようとします。
日々父に対応している母が寝不足から1週間高熱で寝込んだり、私も食事を持って行ったり、父の話を聞いてスーパーへ連れて行って目先を変えたりしていました。そのうち家族総出、という感じになってきました。
これはもう限界だ、母も危ない、と思って、医師をやっている友人や、ちょうど同じ経験をしている社員さんから話を聞いて、介護の事情を掴んできました。
それらの情報については、また詳しくブログ記事にしようと思いますが、昨日は予約していた地域包括支援センターへ父と母と相談へ行きました。
今後、介護認定の方の訪問に私も立ち会うことや、ケアマネージャーさんとの話になる説明をうけ、何か気になることありますか?と問われたので
「化学物質過敏症のため、香料や抗菌成分、防臭効果の高い洗剤を使われている方だと私がお会いできない可能性があります。実際病院でも、薬の説明で立ち会えないことがあって…」
と説明すると、わかりました、そのあたり考慮して人を探してみますね、と対応の保健師さん。
さすが介護の現場、いろんな場面に対応されてきたのか、あまりにスムーズな受け答え。
対応力に介護の大変さと経験の厚みを感じた時でした。
まだ介護認定、実際のサービス利用までは時間がかかるので、日常の大変さは変わりませんが、それでも相談できる相手がいること、今後の流れがわかったことで母も精神的に大きな安心を得られたようでした。
私は主治医やセンターへの相談に、これまでの経緯や家族の状況、希望することなどをメモにまとめて持参したのですが、化学物質過敏症があまり知られていない頃から医師へ説明するのにやってきたことがとても役に立ちました。
昨日のセンターでの相談もスムーズで、私の身体的なダメージも少なかったです。
ということで、ブログを読んでくださっているみなさんに、私の現状報告でした。
介護はこれから長いので、自分の体調を崩さないことも大事にしたいと思います。
『大丈夫、きっとよくなる。化学物質過敏症の私がつくった製品wacca(ワッカ )』

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