治すことに専念できなかった私
この1ヶ月、体調不良でほぼ会社に出られませんでした。
起きているのも辛かったのですが、リモートワークをしていて、ZOOMで会議に参加したり、自宅からブログやSNSの投稿をしたりしていました。
そんな中、毎月行っている化学物質過敏症の診察日になりました。
調子悪いと言いながら仕事をしている私に、主治医は
「ちょっと良くなったからといって、良くなったのは表面的なことで中は空洞。
そこでどうして動くのか。
休まないと。回復のために。」
「横山さんは過敏症になる前はもっと動いていたんでしょう(働きすぎ)。」
「重篤な状態になる手前でよかった」
いつも優しい先生が真剣に諭してくれているのがわかり、自分の認識の甘さを痛感し、ああ、変わらなくてはいけない、と反省しました。
目も化膿してコンタクトレンズが入れられなかったので、社員が車で診察に連れて行ってくれたのですが、先生に言われたことを待合室で話すと
「もう何もしないでください。携帯もダメですよ。」
と社員からも涙目で怒られました。
先生から、化学物質過敏症を発症したことで助かっている面があるとも指摘されたのですが、当たっていると思いました。
私は何かとやりすぎてしまう傾向があります。
発症した頃は精神的にも身体的にも相当疲弊していたし、命を守るために体が全力で私を止めたような気がしていました。
(もちろん、科学的な発症要因は別にありますが)
あれから10年もたって、まだ私は同じことをしているのか、と自分でもいやになりました。
自他共に認める「動いていないと死んじゃう魚」のような私。
でも、今回はじっとしていよう。
ちゃんと回復しよう。
週末の四連休も、ただひたすらじっとしていました。
もう辛いことこの上ない。
これまでの人生で、一番何もしなかったと言えます。
すると、荒れていた皮膚がよくなり始め、目も回復し始め、体も少しずつ楽に。
ほおお、これが治癒か。
体がエネルギーを治癒にまわしている感じがしました。
動物は具合の悪い時はじっとしている、と言われますが、人間も動物、私もじっとしていなければ治らないんですね。
そんな当たり前のこと、何をいってるんだと思われるでしょうが、どんなに周りから言われていても、自分で経験し、腑に落ちないと、人の価値観はなかなか変わらないと実感します。
やっと思考力も戻ってきました。
冷静に考えられるようになり、私はなぜこんな行動をとっていたのか、理由を考えてみました(後ほどつづく)。
『大丈夫、きっとよくなる。化学物質過敏症の私がつくった製品wacca(ワッカ )』
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